麺を究める日記

麺の探求がライフワーク

甘味処 初音(中央区日本橋人形町1-15-6)

人形町でうどんを食べた後は、腹ごなしに少しだけお散歩です。
「谷や」さんを出て浜町方面に歩く。
浜町緑道の桜並木を右折して桜を見ながらブラブラ歩くと、寒空の下で町会の花見が行われていた。

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暫く歩くと、地面に「下町の散歩道 甘酒横町」と表示されている。
甘酒横町に左折した。

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少し歩くと左手に太郎梅(蜜で煮込んだ梅千し)と胡麻豆腐で有名な「江戸懐石 凡味」さんがある。
太郎梅は、持ち帰りのみで、3個入り1,500円要予約らしい。
そして、そのお向かいの路地を入ったところに古民家を利用した渋いお店「酒膳 久助」がある。
本店は焼き鳥、此方はおでんがメインらしい。
夜に訪問してみたいですね。

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更に歩を進めると「御膳鮨処 関山」というお店がある。
京樽が展開する最高級上方鮨のお店のようだ。
お店に入り「ちらし寿司」と「お稲荷」を購入し、お店を後にする。
桜の木の向こうにお店が見えて奇麗ですね。

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そして、人形町通りにでて水天宮方面に歩くとからくり時計が目に入る。
12時から7時まで1時間おきに人形が動くらしい。
人形町の由来》
明治の初め頃にこの横丁の入り口の南側に尾張屋という甘酒屋があったことから昔は『甘酒屋横丁』と呼ばれていた。当時の横丁は今より南に位置しており、道幅もせまい小路であった。明治の頃この界隈には水天宮様をはじめ久松町には明治座が櫓をあげており、近くには「末廣亭」「喜扇亭」「鈴本亭」の寄席が客を集めていた。また穀物取引所の米屋町、日本橋の川岸一帯の魚河岸、兜町証券取引所が隣接していることからもこの界隈が賑わっていた関東大震災後の区画整理で現在のような道幅になり、呼び名も『甘酒横丁』と親しまれ人々に呼びつがれている。

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そして、道路の向かいを見るとこのお店。
「甘味処 初音」さんです。
江戸時代、天保8(1837)年の創業このお店は、東京でも最も古い甘味のお店だと言われる。
信号を渡りお店を訪問。
渋いですね。

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お店の中は木をふんだんに使った、和モダン。
照明は素晴らしい演出。
建具の細工が素晴らしいし、障子が使われているところが昭和初期を感じさせる。
私はコーヒーをお願いすると直ぐに運ばれて来た。

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ご新造さんはメニューを見て吟味している。
結局「お汁粉」を注文。
お品書きにも「創業天保八年」と書かれていた。

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そして、黒い塗りの椀が運ばれてきました。

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椀のふたを開けるとこんがりと焼かれた餅が二個。
紫蘇の実を漬けた物が添えられている。

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少しお汁粉を味見してみると、奥深い甘みを感じる。
砂糖に拘っているのでしょう。
焼かれたお餅の香ばしい薫りもまた良いですね。

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紫蘇の実の塩加減が丁度いい。
お酒のアテに丁度いいかも。

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175年の歴史を重ねた味は、憩いの場としての風格と柔らかさを感じさせます。

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大正期のお店の画像が飾られていた。


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初音を出て水天宮前を通り門前仲町まで歩こうと進む。
が、しかし、寒くて寒くて思わず半蔵門線の水天宮駅に下りた。
そして、帰路につく。

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関山で購入したちらし寿司とおいなりさん。
美味しそうですよね。