麺を究める日記

麺の探求がライフワーク

2018_02_05 北京へ出発

何時ものように午前5時に起床し、出発準備をすすめる。
最期にパスポートやカード類をチェックし家を出る。
始発のバスで葛西駅に向かいます。

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夜も明けておらず、物凄く寒いですね。
こんなに苦労して出張する意味があるのだろうかと思うこともあるが、いつかは終わると思うと今はやり続けるしかない。
葛西のバス停に着くと成田行きが停まっている。
第二ターミナルと荷物係りの方に言って、バスに乗り込む。
そして運命のバスは動きだした。

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何事も気に掛けずに朝焼けを見て奇麗だなと思った。
しかし、向かう空港を間違えていたのだ。
飛道具を使って何とか羽田国際線ターミナルに辿り着き、北京行きの飛行機に乗ることが
出来ました。

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席は国際線に準備されだした、プレミアム・エコノミーというシート。
少し広くて、脚を伸ばせます。
何度か乗った事がありますが、やっぱり楽ですよ。

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朝からトラブルがあり、すっかり疲れはてて外を眺める。
これも人生だなとしみじみ思う。

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飛行機はいっきに上空に舞い上がり、先程通った海ほたるを眼下に見る。
嫌な出来事だなと思い返してしまった。

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気を取直して、映画を見よう。
スリー・ビルボード(Three Billboards Outside Ebbing, Missouri)という映画です。
ストーリーは書いてある通りです。
しかし、エンディングはどうかな?とおもった作品でした。
悪くは無い!

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映画を見ていると機内食が出される。
今回はトラブルがあってラウンジには行ってないので、朝食抜きでした。
少しお腹も空いていて食欲はあったのだが、お茶を口に含むと喉とリンパ腺に痛みと違和感を覚える。
恐るおそる食事を口に運ぶと、喉を通すのがやっとだ。
参ったな、朝は大丈夫だったのに喉が腫れている。
なんとか食事は食べたが、喉の痛みは更に拡大して行く。

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映画を観終って外を見ると北京の近くまできていた。
環境問題を意識した政策が効き始めているのか、比較的空は綺麗に感じる。
しかし、日本の空からみたらまだまだかな。
無事に北京空港に着陸したが、のど痛みはツバを飲み込むのも辛い状況になっていた。
損保ジャパンに電話をして、至急対応できる病院を紹介して頂く。
中日友好病院で診察を受ける事になった。
タクシーで病院に行き、国際医療の部屋にいくと、連絡が入っていて直ぐに問診が始まった。
体温と血圧を計り、検査をして頂いて処方せんが出される。
薬も直ぐに出して頂いて、病院に居た時間は30分くらいだったと思う。
こんな親切な対応をして貰ったのは初めてです。

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病院を出てタクシーで北京南駅に向かう。
駅の売店で水を買って、クスリを飲む。

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そして、高速鉄道で滄洲に向った。

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一時間ちょっとで滄洲駅に到着です。
5年前は何も無かった駅前の通りだが、高層ビルを誘致して大都会の様にみえる。
降りる人達は結構いる。

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駅を出ると取引先が御迎えに来てくれる。
ありがたいことです。

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駅から外に出て、通りまで歩く。
寒い!
気温は0度以下かも知れない。
頬に突き刺さる寒さだ。

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いつものホテルにテェックインする。
相手も我々を良く知っているので、スムーズにチェックイン出来る。
ホテルに荷物を置いたら、夕食会に出掛けます。
色んなことがあり過ぎた長い一日はまだ終わらない。



2年間ブログを休んでいる間も、中国出張は続いていました。2年間で30回近くは出張したように記憶する。以前は上海中心の動きでしたが、今は北京を中心に活動しています。上海のプロジェクトから離脱したということです。しかし、上海中心の5年間は辛い思い出しか無く、心の病にかかる寸前のところで踏み止まっていました。信頼のおけない人とはまともな会話が出来ない状態に陥り、そこから抜け出せずもがいている日々。いま振り返って見ても、完全に心の病の寸前で、そのままの状態が続いていたら完全にアウトだったと確信しています。何とか1年をかけて先が見えてきました。これからまた楽しくて明るい日記を綴りたいとおもいます。