麺を究める日記

麺の探求がライフワーク

寺方蕎麦 長浦 浅草店(台東区浅草1-13-1)

19日の日曜日に『かっぱ橋 道具街』に食器を買いに出かけた。
到着した頃に丁度お腹がすいてきたので、『かっぱ橋 道具街』のパーキングに車を駐車し浅草に足を運んだ。
浅草に向かう途中に『風流お好み焼き 浅草染太郎』の前を通りかかり、ソースの焼ける匂いが、ブラックホールのように私を誘い込む。
しかし、嗅覚は奪われてもお店の中を見ないようにして、視覚だけはこらえてお店の前を通過する事ができた。
そして、ぐいぐいと浅草の『手打ち蕎麦 十和田』さんを目指し歩を運ぶ。
しかし、途中で何度もくじけそうになりながら歩くと『寺方蕎麦 長浦』さんの暖簾の掛かった渋い店頭が見える。
とうとうここで挫折した。
暖簾を潜り真ん中のテーブルに着く。
お品書きを見て『もりそば』や『ざるそば』などのスタンダードなものはわかるが、その他が何が何やらさっぱりわからないネーミングでどうしたものか。
しかし、迷うことはない。
私は『もりそば 大盛』ツレは『妙興寺そば』を頼んだ。
妙興寺そば』の由来(寺方蕎麦 長浦のHPから引用)
慶長年間に妙興寺に在籍していた恵順という僧侶が、15品に及ぶ蕎麦の食法を、『蕎麦覚書』として記録し、その記録日を慶長13年(1608年)6月21日と記していた。先代はこの記録から麺汁の仕立方、蕎麦の扱い方を研究し、現代人の味覚を考慮して、蕎麦よりもそうめんに合うもの、或はうどんに合うものと整理して今日の長浦の品書きとした。とりわけ禅林の香りの強い一品を、長嶋山妙興寺の寺名を付けて妙興寺蕎麦と名付けたのです。そして町方蕎麦とは一風異なる仕立ての蕎麦を作る「寺方蕎麦」を看板としたのです。
 この文書は不運にも昭和19年4月10日の空襲で焼失したが、現店主は先代の寺方伝来の蕎麦作法を忠実に引継ぎ、さらに研究を進めて、蕎麦のみならず麺類そのものが禅林から発祥した事実を『つるつる物語・日本麺類誕生記』の一冊で明かにもしたのです。
程なく『もりそば 大盛』が運ばれてきた。
繊細な手打蕎麦は熟練した技を感じさせる蕎麦でした。
細くコシのある手打蕎麦は汁とのバランスがよく上品で素晴らしいものです。
そして『妙興寺そば』は茹で上げた蕎麦を冷水で洗い、白髪大根戸和えて椀に盛り、いり胡麻、海苔を蕎麦の上に散らします。汁は庫裏納豆、あるいは寺納豆ともいわれた食材を調味し、禅味の代表的な蕎麦であるらしい。
味噌風味の汁は趣のある美味しい汁です。
そして美味い手打蕎麦でありました。

 

  風流お好み焼き 浅草染太郎
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  二階建てバス
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  お店
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  お品書き
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  薬味
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  もりそば
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  そば
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  そば
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  妙興寺そば
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  妙興寺そば
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  TV放映の案内(関東圏:10月24日金曜日 PM8:00~8:45、全国放送:10月26日日曜日 AM10:05~10:48
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  浅草っぽい景色
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